1968年から1969年にかけて全3作品が製作された宮園純子主演による『妖艶毒婦伝』シリーズの第一作。 歌舞伎や講談でも有名な江戸中期の毒婦・妲己のお百がモデル。
「インバイの娘はインバイなのかい!」
夜鷹の母から淫らな血を受け継いだ女の宿命と葛藤。
袋小路に追い詰められた愛欲の爆発をダイナミックに描く。
東映は 1965年に「東映好色新路線」としてエロス映画を大手映画会社としては異例の製作方針を打ち出した。
岡田社長は東映社内報(確か1969年正月?)で「セックス、暴力といったものは娯楽映画の基礎的条件の一つで、表現形式はいろいろ変わっていくと思いますが、消えるということはありません」と打ち出し、正月映画「徳川家康」の不振、時代劇の低迷から任侠映画で奮い立たせた この時期に「エロス」という重要な路線に走らせたのである。
監督 編集 監督の石川義寛はシリーズ1作目の本作で降板したが、続く『妖艶毒婦伝 人斬りお勝』『妖艶毒婦伝 お勝兇状旅』でバトンタッチした監督、中川信夫の弟子であり、新東宝時代に「東海道四谷怪談」など 中川の怪談映画に助監督や脚本として尽力した功労者。新東宝の倒産で、東映所属になったとされる。
主演の宮園純子は1960年に東映ニューフェイス第7期生で2、3週間に二本立て興行の 東映が量産するプログラムピクチャーに多数出演。しかし最高の美貌の女優であったのに 主演にはなかなか抜擢してもらえず、本作こそが入社8年目にして初主演作なのである。
しかしながら、長年カメラの前で演技し続けた苦労は 本作の見事な”芝居”に開花されており、その女の情念と激しさに惹き込まれてしまうのだ!
(新世界東映)