~三國連太郎が この映画の発案者。
1960年代に 俳優 三國連太郎が、実際にあった網走刑務所囚人脱走計画事件を知り(当時 三國は東映専属俳優)、『網走監獄の脱走』と命名して企画を岡田茂(当時、東映東京撮影所長)に提出、これこそが俳優 高倉健の代表シリーズの始まりだった。
三國の推薦により大島渚を監督にと岡田氏も賛成し、「大島監督に一発ホームランを打たせてやれるような傑作作るぞ』と主演は三國とアイ・ジョージで進められていたが ここで問題が。上層幹部が 大島監督の前作『天草四郎時貞』を興行的に失敗した事を挙げ「芸術性を追及する監督より、娯楽に徹した監督がええで。」と監督を変えた経緯があった。その後、岡田氏が娯楽路線に 暗い三國の主演はふさわしくないと言い始める。
もともとは三國の提案だから 当初の企画はゼロに戻されたが、その時に 目をつけたのが伊藤一が実録物の小説として書いた『網走番外地』だった。
この書籍こそ 戦後すぐに伊藤が網走刑務所で1年数か月服役した経験をもとに書いた実話である。
この小説は すでに 日活が 原作をほぼ忠実に「網走番外地」の題名で映画化されていたが、東映は 三國が持ちこんだ企画にあてはまるプロットを これにグロスして、さらに高倉健を主演として この娯楽傑作が生まれたのである。
三國の企画は、けして ないがしろにはされなかった。しかし、その後 アクションから任侠映画へと、その流れに もはや自分は必要ないと感じた三國は東映との契約を切ってフリーの俳優の道を歩んだのである。
しかし、三國が東映にいなければ、「網走番外地」シリーズは生まれず、高倉健に代表作が ひとつ消えていたはずだ。
高倉健が先輩俳優のなかでも 特に三國連太郎を慕っていた由縁は ここにある。
監督の石井輝男は スタンリー・クレイマー監督の『手錠のまゝの脱獄』を後半に考えた。 手錠で繋がれた2人の犯罪者、健さんと南原宏治の、吹雪の逃走劇は本作の大きな見所だ。
二人を追う厳しいが心優しい保護司に丹波哲郎。 他に安部徹、待田京介、田中邦衛、潮健児、嵐寛寿郎など豪華配役陣。
(新世界東映)