渡哲也さん主演、渡さんの代表主演作品は日活に多く、東映では「レディジョーカー」「長崎ぶらぶら節」、そして「仁義の墓場」「やくざの墓場・くちなしの花」の4本のみ。
本作は渡哲也さんの東映に おける代表作である。
本作は、渡さんの東映初主演作品でもあり、深作欣二監督を起用したのも渡さんだ。
任侠道にも仁義にも反し、破壊的な人生を死に急いだ石川力也をモデルにした陰惨な実録路線。
深作欣二、笠原和夫脚本のコンビは「実録共産党」を発表したが、まもなく製作を断念。実質「やくざの墓場」が最終作となった。
脚本の鴨井達比古は、当初 渡さんが所属していた頃の日活に本作の企画を持ち込んだが 日活は いっこうに乗り気ではなく、「新 仁義なき戦い」撮影時の深作欣二と会った。
「深作さんは、さあどう撮ろうかという時にならないと、具体的なイメージが出てこない人なんですね。基本的なことは話し合いましたけど、抽象論では分からないわけですよ。ぼくは深作さんとは決定的に合わなかった。深作さんは石川力夫と同世代で戦後の闇市を知る世代でもあり、その観点で石川を捉えていこうとする。ぼくの方は時代設定が昭和20年代であっても昭和40年代に引っ張り込もうとする。そのあたりが決定的に違ってました」
鴨井は深作に「仁義なき戦い 新宿死闘編」を望んでいたのである。深作は鴨井のシナリオのどこが気に入らないか指摘するわけではなく『どこか微妙に~感覚的に違うんだな』と言っただけで鴨井脚本では撮れないと土壇場になって気心知れた神波史男、松田寛夫を呼び、一週間ぐらいで書き直した。
鴨井は激怒、「おい!こっちは半年かかってるのに撮影直前になってこのホンでは撮れないなんてプロじゃない、一言も断りもなく直してしまうなんて無礼千万!!僕のホンで撮ればもっと傑作になったよ。
深作さんが名監督になると、何をやってようと深作批判はタブーだという風潮が出てくるんだ。これは権力だ、思い上がりだ。」
神波史男が『キネマ旬報』で 松田寛夫と 反論。「無論スタート時に鴨井氏のシナリオは読まされてはしたが、我々の狙う表現とは対極のものとして、完全に捨ててかからざるを得なかった、我々は鴨井氏のシナリオを全く使っていない、その作業の内実たるや、決して手を入れてしまった程度のものではない、一週間の執筆期間しかなかったのは事実だが、半年かけられた鴨井シナリオとは別個に自立するものである、曲がりなりにも一週間で書けたのは、藤田五郎の的確な原作、改めて基礎的な調査をやり直すために、現地まで走ってくれた梶間俊一ら助監督諸氏の力。シナリオ作者はあくまで我々であって鴨井氏ではない、我々としても、当時東映に対して鴨井氏のタイトルを外すよう強く要求しなかった点を反省するが、鴨井氏も、今になってこのような発言をされるのなら、あの時点で、潔くご自分のタイトルを降ろすべきでなかったかなどと反論した。
多岐川裕美が演じたヒロイン地恵子は、鴨井シナリオでは強い女として描かれていたが 神波、松田版では、自らの意思薄弱、周囲に翻弄される女に変えられた。
いずれにしても いかなる行き違いや感情が行き交いしていたとしても 映画「仁義の墓場」は ひとりの大監督と3人の脚本家の力量がなければ 大成しなかったのである。
(新世界東映)